戦略タクティクスというよりも、マスと行動に+1ー1等の加算的要素があり、うまく積載してながら、特徴などで特殊数字、特殊倍率を狙っていくゲーム。
設定が何であろうと、作り上げて積み上げる要素は同じのためランダムでも十分に遊ぶことができる。最初は中国でのプレイになった。

ゲームをすることに偏見はないはずだが、中国というだけで何かの嫌悪感を感じていた。なんでこうなったんだ・・・。
中国が好きだった。人格形成ともなる若者時代を振り返ると、好きだとは思っていないけども、皆がそういうことになり、それを認めるはず。ラーメンマンはキン肉マンの友だった。崎陽軒のシュウマイ弁当は、昔から今も愛され続ける業界の弁当。
今の大多数を占める失われた氷河期世代は、ジャッキーチェーンかっこいい!と、真似をして小学生時期を過ごしたはずなんだ。それでなくても、ブルース・リーが、ハリウッドスターとして君臨していた時代で、中国からもアメリカからも、中国が日本には影響していた。
日本国内では・・・?
確実に国内が中国好きだった証拠はある。大塔していたのは「ドラゴンボール」だった。これも中華系の拳法に源流がある。これが一世を風靡したに過ぎず、永続的信念からは、除外される要素を書き出していこう。就職氷河期世代のように、どうしてもタイミングによっては「中国とは生まれも育ちも共にする」認識から備わってしまう世代が、必ずあるからだ。
「日本は中国ではない」言いたいことは、たったこれだけ。
1・大量生産を生み出した日本の共通規格
アメリカから必ず遅れる形をとっている日本が「民族主義的底上げ志向」にしても、今は「SNS時代」を取り入れて和風にする最中とになった。
SNS時代の前は「情報化時代」で、インターネットを介した「wikipedia」を作っている時代だった。それらは世間に対する辞書の位置で、調べる先を作っていた。その前が「日本の産業時代」だ。これが日本の昭和に位置しており「バブル経済」とも繋がりがある。
日本の産業時代は「世界のTOYOTA」と、日本車を作り上げた部品製造、販売、パーツの産業を引き継いでいる。工業工場生産は、たくさん作れば単価が安くなる「共通規格」を生み出した。これは人類の偉大なる発明に数えられる。そこに入ってきたのが中国「made in chaina」で、これは誰もが見たことがあるだろう。
日本製よりも、はるかなる大規模で「共通規格」を行っていたため、勝つことはない。仮にでも日本人口1億人に対して、中国人口20億人。これで国力の違いというのを、叩きつけられている。日本は安さで中国製に勝てるはずがないと屈服させられていた。
2・「大量生産の共通規格」を潰された日本
日本は奪われた大量生産の世界市場に「質の高さ」をブランドにして、食らいついていった。実際に故障が少なく、質が高い「made in japan」を作り上げている。同時にサービスとしても発展した保障と保険の多さが、これらを真実だと証明するだろう。
中国は、ここで「やってはいけない」ことをやっていた。それは「日本を脅かした」のである。これは、いつでも中国に「裏切られた」「脅かされた」「奪われた」と言える状態になっている。
日本は、まったく意図をしない善意の第三者的立ち位置から、「恨みがある」といえる境遇に立っていた。
「今の関係性は、過去にお前がやったことの報復である」
キャプテン・レオ


