
マスターフーミン(匿名希望)
1982年生まれ。2歳半の時に父が他界。記憶にもない人格形成期を、遺影と仏壇で過ごしていた、ベタでコテコテの少数に属する人間。
幼少期の理想や自分の像がまったく描けても見えてもおらず、習うこともなくしてしまい「心に大きな穴が開いている」「死んだ魚の目をしている」「野蛮人」「教育がない」とは、小学校の教師を含め、ひと通りの言われと証を総なめにした、最底辺を自負している。
アダルトチルドレン、サイコパスなど、昔から増えている精神的疾患の細分化も、ほぼコンプリートするかのように、少年期には、幻聴を聞きながら遊び、魔が差したような若年特有のハッとする無知も、変身ごっこのようにように受け入れながら遊んでいた。
対外的指標を持てないのは、基準となる内的アイデンティティがないためであり、家より出た社会的事象現象を父とした信念で育っている。自分の存在や像がないことは「あんな風になりたくない」「こんな状況になっている」「それでこういう結果」という、根底的ショートカットをする感性がなく、持たされたモノがない状態。
「間違えなければわからない」「体当たりしかできない」タイプで、本人は自分で出した答えを生きている。一世一代の人生で始祖的精神だとは、言葉でも言われた事、扱いを受けた事に実証を得ており、それらが世捨て人、ホームレス、出家、僧だとされても、否定をする気は、おそらく「ない」。
自分で自分が可哀そうで美化したいのではなく、前述にもあるが、世の中の事象現象、社会の影響によって至った境地でもあるため、日本文明の自業自得、社会的報いだと認識している。そして、これが「日本に生まれた特典なのか?」「これが日本が提唱して税金を納めている国民の幸せ」で、本当にいいのかどうかは、また脱出もできない迷宮の中で考え、頭を悩ませている。
欠如した「私の人生」
欠陥や欠落であれば悪足掻きもいいが、欠如であったなら「私の人生」
変人であっても関係がなく、いじめられてもイジメではなかった。そういう仕打ちをする場所だと見なして、認めていった。次第にうまくいくことを覚え始める。こういう学習を「父の存在かもしれない」という具合で、世間の厳しさに伴って「死んだ父を敵対」だと思い、よくあるセオリー的な憎しみの意識になっている。
3歳から仏壇で遊び、お経のテープを子守歌にして、お経の字を見ていた。
家に帰っての自問自答と座禅、ようするに、独り言を繰り返し、幻聴と友達になりたいと探していたのが、私の子ども時代だった。
物心をついたころには、教育もままならず、母を「乳母のよう」「ベビーシッター」だと、教師も含む周りの友達が苦言をしてくれた。それに対しても、何も感じないのが事実である。この頃は「鬼」だと言われていた時期だと記憶にある。
ただ、母は朝から仕事に出かけて、私には冷蔵庫を開ければ食べ物があり、母が帰ってきたらゲロを吐く洗面器を用意すると記憶している。まだ世間では、言うことも恥ずかしくダメなこともある「シングルマザー」認識の前の前で、ただの「母子家庭」の処遇だった。それは、正当な権利だとしても、特別感というのも、負のスパイラルには抗えない。世間や世の中に対する復讐心が幼少期の心には、深く刻まれていた。
喪失もしくは、欠如している私が、夜な夜な「そろばん」を弾く母から持たされた唯一があるとしたら、税制の「寡婦控除」だった。そんな母も、ストーブ一酸化中毒一家心中の話は、小学生くらいの子どもに何度も聞かせていた。この境遇で育ててしまい、いうことを聞くことがないとわかった中学生くらいの私に包丁をつきつけたことも、ないとは言いません。それも、トラウマを優に超えた、私の経験と精神になっている。
税金に助けられる意義とは?
私を育てたのは、国の制度だと少年の心に思った。世間からは、ひたすらに反逆に位置しており、罵られて迫害されたことになる欠如した人間。それでも「私は真っ当であり、正当性がある」という自信がついていた。そんな18歳でも、ここで仕事をして金を稼ぐ意思を持った。それが過信でも勘違いでも良かった。
前述にもあるように、世間であっても、見えない像と話すのは子どもの頃からの気質で持っていた。社会を父と見立てたような子ども心には、それは唯一のメッセージだったのかもしれない。これが「誇り」なんじゃないのか。それぐらい知らない正解もないことを、強引にも捏造するように私は掴んでいる。
わからない人には、わかりようがない。
「わかる人にはわかる」望みとして、個々に記す。
居蔵造りの家

経験から散々なことしか覚えられない性で、良かったと思えることがある。家庭の事情で、よく親戚の家に預けられている。その中に、蔵がある「居蔵造り」の家があった。
板の間にリフォームされたらしく、長い玄関は土間だったらしい。廊下のように「しょうじ」が並んでいる所は、縁側だったらしい。すぐそこに覗ける庭が作ってある。何よりも子どもが興味を持ったのは蔵だった。
埋蔵金、江戸時代、妖怪が住む、古い忍術巻物。
農家の物置が「子どもの知識の蔵」と言われていたのは、自分が生まれる前からある抜群の謎とロマンに、創造と夢が膨らむことにあった。テレビで放送されていたアニメも、ドキュメンタリーも、すべてリンクしている。子どもは「徳川埋蔵金をここに隠してある」と、本気で思い込む。テレビによる悪影響の側面は、妄想性の精神疾患を助長したが、それとも遊ぶ幼少期を過ごしている。
夢があった蔵も、農家の建物も、震災によって全壊して立て直された。今は何もなく、私の記憶にだけ残る思い出になる。
裏と表のように主観とは違う
少年は、影から影に潜むように、裏方を念頭にした社会生活を送っている。運命によって培った、創造力と表現する動機、ユニークな視点の方だが、これは「自分にしかできない表現がある」「人様に見てもらうに値する希少性」としていいのかと、裏方から「自分の作品づくり」を試みている。
自慢の学歴や、自信と信頼のおける職歴、付加価値のある実績の言い回しは無用。
閲覧者の共感と価値というのは、自分が売れて信者が増えることではない。人間性を示すように表現した、ポートフォリオを公開。
わかってんだろう?
それは子ども騙し用の数字。
直接的には金にもなったとはいえねぇよ。
これは金になる仕事じゃねぇ。
こうでもなければ、お前が楽しくないのだろう?
何か気づかないか?
お前はその年齢でも世間知らずの箱入りなんだよ。
これからもずっとだ。
キャプテン・レオ

